公益財団法人黒田奨学会 〒810-0041 福岡市中央区大名2-2-41サンライフ大名308

瑞藤会会報

瑞藤会と会報の由来

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瑞藤会は黒田家にゆかりのある方々と黒田奨学会から奨学金を受けて大学を卒業された方々によって組織されました。
「瑞藤」とは、黒田家の家紋である巴藤(ともえふじ)に因んで、藤のしるし、藤を寿ぐ等の意味を持ちます。初期の頃は福岡と東京でそれぞれ総会が持たれ、東京の総会には奨学会総裁である歴代黒田家当主が参列しておられ、福岡から役員が上京して行われていました。近年は福岡で総会が行われています。
瑞藤会会報の第1号は昭和51年(1976年)5月に発行され、以後、ほぼ年2回の割で発行されてきました。
近年は学生の研究レポートやワーキングホリディ等の学外活動等、内容が充実しており、平成23年1月には69号が刊行されました。

会報バックナンバー

平成28年7月25日更新
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黒田奨学会周年と藩校サミット
黒田奨学会総裁 黒田 長髙

平成24年から始まった黒田官兵衛の大河ドラマの話題も26年に放送が終わり、27年になると各ゆかりの地の「官兵衛プロジェクト」は3月には解散とのお知らせが次々と寄せられてきた。

今思えば大河ドラマが決まってからは本当に自分の周りも「官兵衛」の話題が多く、自分の行動もいろいろ左右されてきたが、自分でもそれを楽しんでいたように思える。しかし現在は周りでもそれはもう過去のことというような雰囲気となっているようだ。
今年の大河ドラマ「真田丸」は真田信繁(幸村)が若い人たちに人気があり、脚本も三谷幸喜ということで視聴率もよく話題になるのではないかと思っているが、案の定、初回は「軍師官兵衛」よりも良かったようだ。その割には世間での話題が少なく思えるのは私だけだろうか。それはともかく自分としては興味深く見ていくつもりである。

さて平成27年は官兵衛の大河ドラマも終わっていることもあり、私の年間行事参加にも官兵衛関連の行事はほとんどなくなり、ほっとしたところもあった。
例年通り3月の黒田奨学会総会・入学式・卒業記念会に出席したが、この年から総会をこの時期に一緒に行うようになった。新奨学生の初々しい姿と現役の奨学生、そして巣立っていく卒業生諸君と顔を合わせるわけであるが、新奨学生は緊張した面持ちでやっと挨拶をすませたようだ。それに比べ卒業生が成長した姿になっているのは見ていても喜ばしい。

その翌日はいつも如水公の法要が崇福寺で行われるのだが、大河ドラマによる官兵衛騒ぎ?が終り、今回の法要は厳粛な雰囲気の中で執り行われた。法要の前週にいつも墓所の草刈りが行われるが、黒田家がこの墓所を福岡市に寄贈したことで市の方で墓所の整備もしてくれるようになり、いつも草刈りに参加していただいている方たちの負担はかなり減ったそうで安心した。

4月にいつも参加している姫路市御着の「小寺大明神社祭典及び黒田家廟所」法要が終わると、今度は「博多どんたく祭り」への参加であるが、この年は丁度その最中に姫路でお城まつりが計画されており、以前よりこちらへの参加も依頼されていたが、さすがにハードなスケジュールになるのでお断りした。

「姫路お城祭り」は今まで8月の第1週の土曜日に行われていたのだが、真夏の一番暑い時期での開催はやめようということでこの時期になったわけだが、どちらかが1日でもずれていれば参加はできた。この「姫路お城祭り」が8月から5月へ変更となったため、いつもスケジュールが重なる「長政公法要」に出席できない口実がなくなってしまった。そこで今回は法要に参加することにした。
私が長政公の法要に参列するのは久しぶりのことなので、藤香会の方たちも喜んでいただき、有り難いことに歓迎会も開いて頂いた。
27年は前年みたいに大河ドラマの官兵衛騒ぎがないのでほっとしたと思ったら、秋に行事が集中していた。まず公益財団法人「黒田奨学会」の創立100周年記念式典である。この記念式典には妻と娘も出席することにし、当日三人で福岡に向かうことにした。今回は100周年の記念式典というめでたい行事なので二人とも着物を着ることにし、事前に送っておいたようだ。

当日はまず記念講演会・記念式典・記念祝賀会と4時間にわたって執り行われた。記念講演会では奨学会卒業生の中條一夫氏の講演があり、ご自分の経験談を主にパワーポイントを使って話された。その画像を見ると実にいろいろなところへ行って外交関係の仕事をしており感心した。
特に紛争地域でのヘルメット姿には少しびっくりされた方もいるのではないだろうか。そしてその話され方も実に歯切れよく話されていたので聞いている方も抵抗なく聞くことができた。この講演の間に妻と娘は祝賀会のための着付けをしていた。この後、式典は伊達理事長の挨拶で始まり御来賓の方の挨拶へと続き終了する。
この後、休憩を経て祝賀会の開会となる。祝賀会ではやはり御来賓の方々のあいさつが行われているなか、出席者は和気あいあいと歓談が始まった。そして奨学生の研究発表が行われたが、このようなことは90周年の時にはなかったことである。
妻と娘はわざわざ着物に着替えただけあって注目の的であったようで本人たちも喜んでいたのではないかと思う。娘がこのように奨学会の行事に出席するのも珍しいことなので、とうとう挨拶のマイクが回ってきてしまい、本人も戸惑っていたが何とか語り終えた。娘は今回の100周年記念にあたり、その記念誌に自分の研究報告を英文で投稿している。私にはさっぱり理解できないが感心するばかりである。
祝賀会の後半には奨学生の発表に続いて奨学生によるソロのダンスと皿回し?等のパフォーマンスがあって出席者を楽しませていた。皿回し?の方は以前にも観たことがある学生だが、前よりはうまくなったようだ。そして最後は出席者で「黒田節」を斉唱し、祝賀会の幕は閉じた。
翌日は福岡市博物館へ向かい、開催中の「大関ヶ原展」を鑑賞した。この展示会は東京でも見たことがあるが福岡ではさすがに黒田家の動向を中心にしており、大屏風では戦いの際に黒田長政の陣がどの位置にいたか、わかりやすく展示されていた。

黒田奨学会は創立100周年となっているが、黒田家の育英事業としては廃藩置県以前より行われており、ほとんど黒田家の私財からその費用を捻出している。100周年を迎えるのは財団法人になってからのことである。黒田家の育英事業は古くは天明4年(1784)の二つの藩校の創立から始まっているといってもよいと思う。この時代から幾つかの波を経て明治時代に入り、廃藩置県とともに藩校の廃止など激動の嵐にさらされ、黒田奨学会の設立の必要が生じてきたようだ。
この黒田家の歴史から始まり、奨学会100年の歩みについては100周年記念事業として石瀧豊美氏が執筆された「黒田奨学会の歩み~百年史~」に詳しく書かれている。この内容には私も知らなかったことが非常に多く、驚かされる。

さて公益財団法人黒田奨学会の100周年記念のイベントが終わったと思ったら、翌週は「第13回全国藩校サミット福岡大会」である。 今回は福岡で開催され、藩校である修猷館の同窓会が主体となっており、私は今大会の名誉会長となっている。この件については1年前より話があった。実は以前よりこの大会が開かれているのは知っていたのだが出席していなかった。前年の埼玉県行田市で開催される以前に、その翌年は福岡で開催しようという話になっていたようだ。事務局は修猷館同窓会に設置し、修猷館OB・OGが中心となって開催へと事業を進めていったようだ。

藩校サミット自体は10月3日()に「ホテルニューオータニ博多」で開催され、翌日はエクカーションとなっている。この藩校サミットには私は妻を伴って訪福した。事前に実行委員の方より、私の一番のお役目はサミットに先立って行われる「藩主会議」で議長を務めることだといわれていたが、その様子については当主しか出席できないのでわからないとのことであった。その様子については知り合いの当主の方に聞いてほしいという。この点については事前に他の会合でお会いした分家の秋月藩のご当主から聞くことができていたので、心配はしていなかった。
そして当日、まず藩主会議の会場に案内されると私の従兄弟である前田家、山内家両家の御当主も出席されているので挨拶をする。その他にも他の会合でお会いする方も何人か居られたので挨拶をする。当日の藩主会議の出席藩数は32藩であった。
会議は進行役として二名の実行委員の方が後方に控えたなかで、私が議長として始められた。私の隣には徳川宗家の徳川恒孝氏が着席されているが、何かさすがに貫禄を感じる。会議の内容としては各藩の紹介および現当主の方の自己紹介が中心となって進められ、藩校サミットにおいて最後に宣言される「福岡宣言」の内容について承認を得て閉会となった。藩主会議の間には、別の会議室において各藩の藩校関係者により「藩校会議」が行われており、藩校の教え等をいかに現代に生かしていくか等が協議されたとの事だが、その内容については私は出席していないので不明である。 そして昼食後にいよいよメインの記念式典に入る。記念式典では開会宣言に始まり主催者の挨拶が実行委員長より、歓迎の挨拶を私が述べ、福岡県知事及び福岡市副市長からの祝辞、そして藩校サミットの提言者といわれる漢字文化振興協会会長・石川忠久氏の記念講演へと続いた。その後に旧藩当主一同が全員登壇し、観客席へ紹介される。何しろ32人ほどの方が壇上に並んで着席しているので壇上も少し狭くなってしまうくらいである。   

ここで徳川宗家の徳川恒孝氏が旧藩当主代表として挨拶されたが、さすがに貫禄もあり別格のような感じがした。
その後休憩があり、講談師「神田 紅」さんが「藩校の歩みと金子堅太郎」を映像を交えて語られたが、これは大評判だったようだ。さすがにプロで話にぐいぐい吸い込まれていくようで、それでいて短い時間でスムーズに語っている。これぞ講談師という印象である。そしてプログラムは進み、修猷館出身の著名人によるパネルディスカッションであるが、テレビでも見た事のある方も参加されていた。次に大会実行副委員長により「福岡宣言」が読み上げられ、次期開催地[丸亀市]からの挨拶があり、引継書が受け渡しされ、「第13回全国藩校サミット」の幕はおろされた。
そして次は皆さんが楽しみにしている交流会であるが出席者も多く、始まってしばらく経つと、あちこちで名刺交換や記念写真の撮影である。私の隣は徳川宗家の徳川様であったが、さすがに人気ナンバーワンで料理を味合う暇もない。私のところもいろいろな方が挨拶に見えたが、それでも何とか隙を見て何とか料理を口にすることができた。ところが徳川様はお人柄もよいようなので、箸を持つ時もないようで気の毒なくらいであった。ちなみに料理の方は実行委員会の方で厳選に選んだようで美味しくいただくことができたが、それでも何種類かは食べたくても口にすることができなかった。そうこうしているうちに閉会の時間となり、今大会の実行副委員長川崎隆生氏(西日本新聞社代表取締役社長)の挨拶で交流会は終了した。

翌日はエクスカーションでコースは2コース用意され、Aコースは崇福寺や光雲神社等、私が訪福の際に必ずと言っていいくらい訪れるところが多いので、私はBコースの旧伊藤伝衛門邸と博多湾ランチクルーズの方を選んだ。妻はあいにく船に弱いので同行はせず、実行委員の方に博多織の工場見学を案内していただき、午後に福岡市博物館で落ち合うことにした。
私の選んだコースの方には前田様、伊達様などそうそうたる方が一緒であった。筑豊の炭鉱王といわれた伊藤伝衛門の飯塚市の屋敷であるが、NHKの朝ドラ「花子とアン」で一躍有名になり観光施設となっている。その庭園はやはり素晴らしく開放感があり、心も和むように感じる。当日は天気も良く一層庭園を気持ちよく歩くことができた。そしてバスは飯塚市を後にし、博多港へと向かう。博多港に到着するときまず目についたのがDuty Free Shopである。博多港に外国からの大型客船が到着すると、乗客はまずここにきていろいろなものを爆買いするとのことである。そして博多・福岡は観光しないで別府などに向かうらしい。非常に残念なことである。福岡にお城でもあれば全く違うであろう。
そして博多湾クルーズの船に乗るわけだが、乗船する前に実行委員の方から、ランチクルーズといっても現在の博多湾は別にきれいでもないのでその点はご了承いただきたいとの話があった。船が動き出してから外を見てみると確かにきれいとは言えないようだ。ランチの席では次回藩校サミット開催地の丸亀市の市役所の方が一緒であったが、今回のサミットがあまりにも盛大であったので自分たちの時はどうしたらよいのか困ってしまうようなことを話していた。確かに今回の福岡でのサミットは私が想像していた以上に盛大に開催され成功に終わっている。これも藩校であった修猷館の同窓会に立派な方々が多く、皆さんが何とか盛り上げるように協力を惜しまなかったことの表れであると思う。正直な話、このサミットは前年の黒田都市サミットよりも盛況であったと思うのは私だけであろうか。
そしてランチが終わるとみなさんデッキへ出て記念写真を取り合って楽しんでいた。このランチの後は福岡市博物館へ向かい、開催中の「大関ヶ原展」を見学することになるが、私はもう既に見学しているので玄関ロビーで妻と落ち合うことにする。そこへ博多織の工場見学を終えた妻が従兄弟の山内様とニコニコ顔で到着した。何かプレゼントされたようだ。そして山内様は高知へ行かれるそうで、博物館を見学してから別に空港へ向かうとのことなのでここでお別れする。我々はBコースの皆さんと一緒にバスに乗り、明太子工場見学の後、空港へ向かい解散し、藩校サミット参加のお役目を終了した。

この藩校サミットの開催中に自分のところでも開催をと考えた方もおられたかもしれないが、前田様は以前より、今回の参加を参考にし、現在金沢は新幹線の開通で込み合っているので、落ち着いてからの開催を考えているようなことを話していたようだ。

今回のこの「第13回全国藩校サミット福岡大会」の開催にあたっては、修猷館同窓会による実行委員会の方々の大変なご尽力とともに、実行委員会の方たちだけでなく、そのほかの同窓生の母校愛による協力があって初めて実現されたもので、その絆に感心するとともに感謝している。そして藩校スピリッツである「和魂洋才」の精神は修猷館の生徒だけでなく、現在の日本人一般の人にも持ちつづけてもらいたいものである。


第75号 (平成25年12月20日発行)
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伝統を引き継ぎ未来への人材育成を讃える
NPO鴻臚館・福岡城歴史・観光・市民の会 理事長
元九州旅客鉄道株式会社  社長/会長 石井 幸孝

すばらしい瑞藤会の雰囲気
先日、総裁黒田長高様ご臨席の瑞藤会総会に参席させていただき、現役の皆様の立派な研究発表をお聞きし、また新進気鋭の社会人OBの皆様やその中から理事になって後輩を育てていらっしゃる方々との懇談で、奨学会の人材育成が脈々と引継がれている事に感銘を受けました。皆様立派な方々ばかりで、黒田藩の人材育成の伝統を感じました。

大河ドラマ「軍師官兵衛」ムード盛り上がる
平成26年正月から、大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映が決まり、ゆかりの地では前景気が盛り上がり、福岡でも「軍師官兵衛福岡プロジェクト協議会」が発足するなど、イベント開催や観光誘致などが立ち上がりつつあります。私どもNPO鴻臚館・福岡城歴史・観光・市民の会でも、福岡市役所や商工団体、企業等との実行委員会を結成して、10月31日には第5回「市民フォーラム」「黒田官兵衛と福岡城に迫る」をアクロス福岡において開催し、約400人という参加者で盛会でした。
今年、来年と、当地でも「黒田官兵衛」にあやかった多くの行事が盛り上がり、例年になく市民や来訪者を集める事になるでしょう。それ自体すばらしいことではありますが、これを一過性の盛り上がりに終わらせることなく、市民にももっと黒田藩時代の都市づくりや事績に理解や親しみを深めてもらい、全国でも屈指の福岡城の復元整備のスタートにつなげ、「軍師官兵衛」の放映というチャンスを未来の成果に残したいものです。

如水公の人となり 国を救い福岡を作った大人物
大河ドラマはどのようなストーリーになるか気になるところですが、黒田官兵衛は前半生では、天下人の戦略軍師として、余人をもってはなし得ない活躍をすることになり、人々を魅了することでしょうが、彼は「希代の軍師」だけで終わっては勿体ない人物です。
後半生では500年も続いた戦乱時代に終止符を打って、民の疲弊を終わらせ、忍び寄る西欧列強の植民地化からも国を救った「希代の径世家」です。そのために「徳川安定政権」を実質的に実現させ、またドン・シメオンという洗礼名も持っていましたが、冷静な宗教観を持ち、神社、寺院、教会をも理解し、西欧文明も取り入れようとした近代的日本人のようなセンスのリーダーでもあったと思われます。そして今日のアジアに開かれた福岡という国際交流都市づくりの功労者であり、「福岡」の名付け親でもあります。海に浮かぶように燦々としたランドマーク「福岡城」を作ったのでした。黒田官兵衛如水公はまさに「国を救い、福岡を創った人物」です。またそこには生涯の愛妻「光の方」との夫婦合作の想いがあったのでしょう。

歴代藩主 黒田家ご当主のご尽力
如水公の「臣下・藩民」を大切にする伝統はその後の黒田藩の名君の排出につながり、藩祖如水公、初代長政公はもとより藩政改革に積極的に取り組み、享保の大飢饉・窮民対策に力を尽くした第六代継高公。幕末の困窮な時期に近代化を推進すべく開明的な進言をした第十一代長溥公と続き、そこには「人を大切にする」人材育成の伝統が明治以降も今日まで耐える事無く続いています。「黒田奨学会」はそれを今日まで受け継いでいるといえましょう。

今後への期待
今後も「黒田奨学会」が伝統に輝く存在であり続けるとともに、代々の受奨者の皆様方が同期の皆さんとの連携は当然ですが、さらに進んで縦のコミュニケーションの機会なども積極的に作り、仕事や人生や趣味でも先輩・後輩の絆づくりができることを期待いたします。